スキップしてメイン コンテンツに移動

浄瑠璃寺

心が洗われるというのはこういうことを言うのだろう。
あの寒さ、枯れる木、そして人には言えない心の安楽をみた。
その後に僧侶の説法もう中身は忘れたけれどあの時涙を流した思い出がある。
なぜだったのだろうか?
今、考えると気持ちの良いことも感情の高ぶりも忘れることはできなかった。
いくら年をとっても忘れられないものがあることを思い出させる。一枚の写真がある。

コメント

このブログの人気の投稿

和田の湧き水

稲城大橋

無料高速道路は無残な状態。高速はお金を徴収して整備を!

家の中

綺麗なマストミ寮の花